松岡康 13年6月16日放送



植物学の父

日本の植物学の父・牧野富太郎。
彼はまた、多くの子をもつ
大家族の父でもあった。

妻寿衛子(すえこ)との間に
もうけた子供はなんと13人。
研究に没頭する富太郎を
経済的に支えながら子供を育てるため、
寿衛子は料亭をはじめる。
店は大繁盛。
寿衛子は、研究室と書斎を備えた家を建て、
子供たちを立派に育て上げた。

寿衛子が亡くなった年、
富太郎は感謝の意をこめ、
発見した新種の笹にスエコザサと名付ける。

牧野富太郎が植物学の父なら
寿衛子はその業績を支えた母だといえる。

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松岡康 13年6月16日放送



タワーの父

1923年。関東大震災で
多くの建物が被害をうけるなか、
日本興業銀行はほぼ無傷だった。
設計者は耐震構造の父と呼ばれる内藤多仲。

地震国日本において、
独自の構造理論を打ち立て実践した内藤は
タワーの父としても知られている。

名古屋テレビ塔、通天閣、
別府テレビ塔、さっぽろテレビ塔、
東京タワー、博多ポートタワー。

内藤が設計したこれらのタワーは、
タワー6兄弟と呼ばれ、
今も日本各地の人々に愛されている。

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奥村広乃 13年6月16日放送



医学の父

食べ物で治せない病気は、医者でも治せない

2500年以上前のギリシアで、こう唱えた人物がいた。
後に医学の父とよばれる、ヒポクラテスである。

400種以上の薬草の知識をもち、
脱臼や骨折を治す器具を考案し、
ペストの流行を抑えるなど功績は数えきれない。

彼にはこんな逸話がある。
マケドニアの王さまが不思議な病にかかり、診察を頼まれた。
王さまの脈をはかると、普通の男性よりも極端に少ない。
顔も青白く、やつれている。
しかし、ある女性がそばを通る時だけ脈が正常に戻る。
名医ヒポクラテスはこんな診断をくだす。
「これは、恋という病です。
この病気を治すことができるのは、愛だけです。」

健康は、食べる物に左右される。
心のありかたにも影響される。
医学がどれだけ進歩しても、
人間そのものは2500年前と
あまりかわっていないのかもしれない。

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三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

哲学者のサルトルは彼を「20世紀で最も完璧な人間」と呼び、
ジョン・レノンは「世界で一番かっこいい男」と呼んだ。

革命家チェ・ゲバラ。
アルゼンチンに生まれ、ラテンアメリカを旅し、
キューバに革命をもたらした男。

生涯にわたりラテンアメリカの解放を訴え続け、
各地でゲリラ戦を繰り返し、最後はボリビアで命を落としたその人生。

革命へのあくなき情熱。
その原動力はなんだったのか。
ゲバラは、こう答えた。

滑稽だと思われるかもしれないが、
真の革命家は偉大な愛に導かれていると言わせてもらおう。

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三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

革命には血がつきもの。
キューバに革命をもらたしたチェ・ゲバラも、
いくつもの戦闘を経験した。
しかし、彼自身は決して戦いが好きなわけではなかった。
ゲバラは語る。

戦争に備えることを努力の中心に据えてしまったら、
われわれが望むものを建設することは不可能だし、
創造的な仕事に集中することができないからである。

また、ゲバラはこうも言っている。

国立銀行の金庫から出て行くお金で一番わびしく思えるのは、
破壊兵器を購入するために支払われるお金である。

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三島邦彦 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

革命家チェ・ゲバラは医者だった。
幼いころにぜんそくを患った
経験から医学を志した。
若き日の南アメリカ縦断旅行の途中でも、
それぞれの土地の医療の在り方を観察した。

キューバでの革命を成し遂げた後、
医学生に向けての演説で、ゲバラはこう語った。

医者というものは、世の中で何が起きようと
絶えず患者のそばについていて、
患者の心理状態を深く知り、
痛みを感じとりそれを癒す者の代表である。

人の痛みを知ろうとする姿勢。
革命家になってもゲバラはそれを忘れなかった。

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三島邦彦 13年6月15日放送


Paul McAlpine
その男、チェ・ゲバラ

キューバ革命が成功し、
チェ・ゲバラは革命の象徴になった。
自分がキリストのように崇拝されることに関して、
ゲバラはこう言った。

僕はキリストじゃないし、慈善事業家でもない。
キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、
手に入る武器は何でも使って闘う。
自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、
敵を打ち負かそうと思うのだ。

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三國菜恵 13年6月15日放送


Paul McAlpine
その男、チェ・ゲバラ

革命家というのは、
その行動の大胆さから
荒々しい性格なのではないかと
つい思いがちだけれど、

キューバ革命を成功させた チェ・ゲバラは、
実に慎重な姿勢の持ち主だった。

彼は、著書『革命戦争の足跡』の中で、
革命の記録をつづるにあたり、こんな心がまえを示している。

私たちが唯一願うこと、
それは物事の語り手が真実を述べることだ。

自分の教養と才能に従って、
自らのやり方で原稿を数枚書いたら、
できる限り厳しく自己批判をしてほしい。

そして、厳密には事実でない箇所、
完全なる真実という確信が持てない部分を
全て削るのだ。

こうした気概をもって、
我々は記憶の記録を始めることにしようではないか。

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三國菜恵 13年6月15日放送



その男、チェ・ゲバラ

革命家 チェ・ゲバラ。
彼のポートレイトは若者たちのTシャツのモチーフになるほど、
その顔が、現代風に言うところの
“イケメン”であったことも知られている。

彼が妻と新婚旅行に行った時。
旅先のチチェインツァーという場所で
あるハプニングが起こる。

2人は映画の撮影現場に遭遇。
野次馬としてのぞき込んでいたら、
こどもたちがゲバラを映画スターと勘違いして
サインを求めてきたのだ。

困ったゲバラ。こんなことばで切り抜けた。

「僕は忙しいんだ。」

夢を壊してはいけないと、
映画スターを気取ってじょうずに断った。
その行動に、彼の人格がうかがえる。

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三國菜恵 13年6月15日放送


Paul McAlpine
その男、チェ・ゲバラ

革命家でもあり、医師でもあったチェ・ゲバラ。
彼には、とりわけ気にかけていた患者がいた。

マリーア婆さん、というぜんそく持ちの患者。
昼夜を問わず彼女のために病院へ駆けつけ、
その熱心さは、妻も首をかしげるほどだった。

なぜそんなにもゲバラは彼女を放っておけなかったのか。
その生涯をひも解くと、見えてくる。

マリーア婆さんは
生涯、洗濯屋として働き、
たった一人の娘と、孫を数人だけをのこして
貧しくこの世を去ろうとしている人だった。

彼女の姿はゲバラの目に、
最も忘れられ、最も搾取された階級の
生きる証人のように映っていた。

彼女の死を経て、ゲバラは世界を変えようと奮起する。

生涯君の希望を裏切り続けたひどい神様には祈らないでいい。
君の孫たちは皆幸せに生きることを、
僕は約束します。

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