八木田杏子 10年04月04日放送



トルストイ


鈍感は最大の罪である。

そんな言葉を残したトルストイ。

鈍感な人間に、
「鈍感は最大の罪である」と言ったところで、
響くはずはないけれど。

彼らにうんざりしている人たちの
傷をうめることはできる。

あきらめて鈍感なふりをすることを、
踏みとどまらせることもできる。

傷を癒しながら、戒めにもなるなんて。
文豪が残した悪口は、気が利いている。





谷川俊太郎


答えのない質問は、大人をひるませる。

どうして、人は死ぬの?
死ぬのはいやだよ。

目をうるませながら問いかける娘に、たじろぐ母親。
詩人・谷川俊太郎は、こんなアドバイスをした。


 ぼくだったら、
 ぎゅーっと抱きしめて、一緒に泣きます。


言葉で答えられない問いかけには、
肌のぬくもりで応えればいい。

ひとりで抱えきれない不安を、
抱きしめてくれる人がいれば、
答えがなくても生きていける。





ジョン・ワラック


この人とは話しても無駄だ。
わかりあえるはずがない。

そう思い込むのは勘違いだと、
教えてくれる人がいる。

シーズ・オブ・ピースを立ち上げた、
ジョン・ワラック。

彼は、パレスチナ系アラブ人と、イスラエル系ユダヤ人の
ティーン・エージャーを話しあわせる。

僕の父さんは、おまえたちのおかげで、死んだんだ。
僕の兄弟は、君たちイスラエル軍に、殺されたんだ。

何日も何日も、憎しみをぶつけあう。
すると、ふと気がつく。

お互いが、同じことを、言っていることに。
お互いが、同じように、傷つけあっていることに。

愚かなのは、憎しみを持ちつづけ、
殺し合いをやめないことだ、と気がつく。

悪魔だと思っていた敵も、
おなじ人間だと知った子供たち。

彼らは、平和の種として、自分の国に帰っていく。





ムソルグスキーとバラキレフ


「ロシア5人組」と呼ばれる作曲家たちを
率いていたバラキレフ。

ムソルグスキーにも、
クラシックの形式を教えこんだ。

しかし、ムソルグスキーが書き上げた曲
「禿山の一夜」は、音楽理論から逸脱していた。

バラキレフは、改作を求める。
ムソルグスキーは、自分に嘘がつけない。

私はこの作品をまともだと思っていますし、
そう思うこともやめません。

理論よりも直観を信じる、ムソルグスキー。

孤独と闘いながら、150年残る、作品をうみだした。





ムソルグスキー


むきだしの魂をぶつける
ロシアの作曲家ムソルグスキー。

心のなかに手をつっこんで、かき乱すような旋律。
腹の底に響いてくる、重くるしい和音。

その音楽は、耳ざわりだけれど、人を惹きつける。

しかし、クラシックの理論をこえた音楽は、
無学と非難され、音楽家としては認められない。

しだいにアルコールに溺れていく彼を
覚醒させたのは、友人の画家の死だった。

ガルトマンの遺作、一枚一枚から、
ムソルグスキーは強烈なインスピレーションをうける。

楽想と旋律がほとばしり、
それを書きなぐる時間さえもどかしい。

わずか3週間で書き上げられた組曲「展覧会の絵」。

およそ100年後の、1970年。
イギリスのロックバンド、ELPが
この曲をアレンジして演奏すると、世界中がわいた。

ムソルグスキーのむきだしの魂は、
クラシックよりもロックのほうが相性が良い。







リムスキー=コルサコフ


武骨な天才ムソルグスキーと、
器用な天才リムスキー。

ふたりは、無二の親友だった。

批判されたムソルグスキーの曲「禿山の一夜」を
リムスキーがアレンジすると、名作といわれた。

それは、ムソルグスキーが亡くなった後、
彼の名前を残すための、苦肉の策だった。

彼が生きていたら、
楽譜に手を入れることを、許さなかっただろう。

ダイヤの原石のような天才、ムソルグスキー。
つややかに磨きあげる天才、リムスキー。

生きているうちに、ぶつかることを恐れずに。

ふたりでひとつの作品を創ったら、
どんな音楽がうまれたのだろう。





宮地勇輔


空気なんて、読まなくてもいい。
時代なんて、読めるはずがない。

農家のこせがれネットワーク代表の
宮地勇輔は、時代の追い風をうけている。

農業ブームなんて想像できなかった頃に、
会社をやめて夢を語る、彼の先行きは不透明だった。

それでも自分の道を歩きはじめたら、
時代のほうから近づいてきた。

狙うと溺れてしまう時代の波は、
無心な人のほうが、のりやすい。


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佐藤延夫 10年04月03日放送

01-ooshima
大島蓼太と桜

気が付けば、もう4月。

なんとなく、
無意識のままに
この季節を迎えてしまったと
少し心を痛めている皆さん。

次に目が醒めると夏になって、
秋は瞬く間に過ぎて
新しい年に変わっている。
またひとつ年をとっている。

そんな予感がしませんか?

時の流れにただ身を委ねていると
生き方まで雑になってしまいそう。

  世の中は 三日見ぬ間に 桜かな

江戸時代の俳人、大島蓼太(おおしまりょうた)の句です。
咲くのも早いし、散るのも早い。
人生もまた然り。
どうか今年の桜は、お見逃しのないように。



02-yamazakura
若山牧水と桜

旅と、酒と、桜を愛した歌人、若山牧水。

明治38年、宮崎から上京し
早稲田大学に入学した彼は、
ソメイヨシノばかりの光景にがく然とする。

牧水の桜は、故郷に咲くような山桜でなくてはならなかった。
だからこんな歌が生まれた。

  母恋し かかる夕べの ふるさとの 桜咲くらむ 山の姿よ

文明開化が広がるとともに
東京から追い払われるように姿を消した山桜。

ソメイヨシノは、悲しくも美しい、新しい時代の象徴だった。

03-shidare
九鬼周造と桜

桜の名所は数あれど、
誰にでも心に残る桜があり
そのすぐそばには、
えてして大切な人がいるもので。

哲学者、九鬼周造(くきしゅうぞう)は
自身の随筆でこんな言葉を残しています。

  いまだかつて京都祇園の枝垂桜にも増して
   美しいものを見た覚えがない。
    見れば見るほど限りもなく美しい。


それもそのはず、
九鬼が二度目に結婚した相手は、
京都の芸妓さんだったのですから。

04-mukou
加舎白雄、小林一茶と桜

夕暮れの桜は、
一抹の寂しさを伴うのでしょうか。

江戸時代後期の俳人、加舎白雄(かやしらお)は
向島の桜を見て、こんな句を残しています。

  人恋し 火とぼしころを 桜ちる

放浪を続けた加舎白雄は、生涯独身を貫きました。
向島の白髭神社に行けば、今もその句碑を見ることができます。

また、深川に住んでいた小林一茶は、
こう吟じました。

  夕桜 家ある人は とくかへる

花見をして家路を急ぐ人々と、
ひとりきりの我が身。

向島の桜は、夕暮れどきであれば
ひとりではなく、誰かと見に行くことをお勧めします。

でも、いま隅田川沿いを歩くと
桜並木よりも目立つのは、
建設中の東京スカイツリーだったりするのですが。

05-lune
中村汀女と桜

今年は千鳥ケ淵か、飛鳥山か・・・

昼間の桜もいいけれど、
夜桜こそまた趣深い。

その理由は、中村汀女(なかむらていじょ)の句を聞けばわかります。

  外にも出よ 触るるばかりに 春の月

大きくて柔らかな、春の月。
震えながらでも
夜桜を見上げてしまうのは、きっと
朧な空に優しいものがたくさん浮かんでいるからだ。

06-somei
ロバート・フォーチュンと桜

ソメイヨシノの学名は、
プルヌス・エドエンシス。

翻訳すると、江戸桜。

命名したのは、スコットランド生まれの植物学者、
ロバート・フォーチュンだった。

でもソメイヨシノが広まったのは
明治時代になってから。

本当に江戸を桃色に染めた山桜は、
今や23区内ではあまり見ることができない。

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小宮由美子

小宮由美子 参戦決定

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名雪祐平 10年03月28日放送



良寛 1


 散る桜 残る桜も 散る桜


良寛和尚の句はいつも、
せつない。

せつない、とはもともと
人や物を大切に思うことだという。

人は弱い。人は寂しい。
それが当然で
せつない、大切、と思えるかどうか。

おまえ、威張ったりしていないか。
良寛和尚の声が
聴こえる気がする。







良寛 2


あっけらかんと
良寛和尚は生きた。

酒も、煙草もたしなみ、
70歳になって、30歳の尼僧と
相思相愛にもなった。

本音で生きた良寛。
その辞世の句。


うらをみせおもてをみせて 散るもみじ


ただ無心に、
物事の表も裏もなく、自然に任せきる境地。

素朴かつ劇的。
まさしく良寛の真骨頂。





淀川長治


映画館で映画が終わったのに、
まだ座っている老人がいる。
終わりましたよと
声をかけると、死んでいた。

それが理想の死だと
映画評論家・淀川長治は語ったという。

淀川が32年間、解説をつづけた
『日曜洋画劇場』。
その収録直後に倒れたことは、
理想に近かったのだろうか。

すくなくとも。

交流があった
日本や世界の映画人が
一人の映画評論家の人生を讃えた。
ベルナルド・ベルトルッチ
アラン・ドロン
ブラッド・ピット
アーノルド・シュワルツェネッガー
・・・。

89歳まで、映画に没頭した
素晴らしい人生だった。





マルセル・デュシャン 1


芸術を疑え。

マルセル・デュシャンが、
発表したのは、
何でもない日用品のオブジェだった。

自転車の車輪
雪かきシャベル

タイプライターのカバー

まったく新しい衝撃が走った。
これは芸術なのか。

人々は何もわからず、
ただデュシャンだけが
スキャンダラスになっていく。





マルセル・デュシャン 2


20世紀の美術界を
ひっくり返してしまった男。
マルセル・デュシャン

1917年、決定的な事件を仕掛ける。

男性用小便器に
『泉』というタイトルをつけ、
別の署名で出品したのだ。

もはや、作ったのが誰だろうと
問題ではないのだ。
ひとつの日用品を選び、
その物体のための新しい考えを作り出したことが
重要なのだと。

……だれにも、理解されなかった。

けれど、デュシャンは
人間の生き方を見分ける目をもとうとした。
ステレオタイプな評判を拒否しようとした。

芸術を疑ったデュシャンこそ、
芸術の本質を生きたのかもしれない。



6.ダイアナ・ロス

ダイアナ・ロス


1997年7月、
NHKホールでライブ直前だった
ダイアナ・ロスに、
最悪の知らせがあった。

弟夫婦が殺された。

でも、彼女は観客には何も明かさず
プロとしてステージに立った。

さすがに途中、涙で歌声を詰まらせた。

その時、事情を知らない観客から
静かな合唱が始まったのだ。

『イフ・ホールド・オン・トゥゲザー』

その温かさに励まされて、また涙が出てしまった。



7.高杉晋作

高杉晋作


長州の志士、高杉晋作。

幕末に
こんな句を詠んだ。

おもしろきこともなき世を おもしろく

物事がうまくいかなくても
他人のせいにせず、
まず自分からおもしろく。

さあ、春です。
こんな、
おもしろきこともなき世を おもしろく!


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厚焼玉子 10年03月27日放送

01-makino
牧野富太郎とキツネノボタン

牧野富太郎先生は植物学者であると同時に
植物の名付け親でもありました。
日本の植物で牧野博士に名前をもらったのは
2500種以上にのぼります。

たとえば、春の川辺に咲くキツネノボタン。
牧野先生が名前をつけてくれるまで
この小さな黄色い花は
なんと呼ばれていたのでしょう。

気がつけば、風が暖かく
いままで何もなかった道端に
あっという間に花が咲きます。

春は草花の名前を覚えるチャンスです。
植物事典を一冊、身近に置いてみませんか。

02-gekko
牧野富太郎と月光桜

月光桜と呼ばれる桜があります。
日本にほんの数本しかないといわれる貴重な山桜です。

植物学者牧野富太郎先生は
ふるさとの高知県でこの桜を発見し
アシズリザクラと名づけようとしました。
けれども、その名前が登録される前に
先生はお亡くなりになって
結局、正式な名前はまだありません。

月光桜はその名の通り満月の夜に満開になり
白い光沢のある花びらが月の光に輝くそうです。
正式な名前でなくても
見る人に月光桜と呼ばれる桜の美しさは
誰にだって想像できますね。



03-fuji
牧野富太郎とフジツツジ

フジツツジの「フジ」は富士山ではなく
藤の花に色が似ているからだそうです。
フジツツジも牧野富太郎博士に名前をもらいました。

フジツツジの花は小柄でやさしいけれど
ツツジのなかではいちばん早く咲きます。
冷たい風に負けないしっかりものです。

フジツツジは
牧野博士のふるさと高知県の
海を見下ろす高台にたくさん咲いているそうです。
本州では紀伊半島より西でないと見ることができません。

いっぺん会いに行きたい花のひとつです。

04-waru
牧野富太郎とワルナスビ

白と薄紫の花は小さくて可憐だし
葉っぱと茎に小さなトゲはあるけれど
気をつけていれば問題ないだろう.,,

牧野富太郎先生は、きっとそう思って
ご自分の植物園に植えたのだと思います。

すると、その可憐な花はたちまち侵略者に早変わり。
好き放題にはびこって、
抜こうとすると根っこが切れる。
その切れた根の破片がまた一人前に育ってしまう。
まるで細胞分裂のような増殖をして
ついにお隣の畑にまで侵入してしまいます。

牧野先生はついに音を上げて
「こんな草を背負い込んだら災難だ」
と、ものの本にもお書きになり
その災いの植物につけた名前がワルナスビ。

牧野先生のお腹立ちの様子が
ワルナスビという名前から伝わってきます。

05-uba
牧野富太郎と姥百合

ハート形の葉っぱを持つ百合は姥百合。
姥百合も牧野富太郎先生が名付け親です。

姥はおばあさんという意味の姥。
百合なのに、どうしておばあさんなんでしょうか。

姥百合のせっかくみずみずしく繁った葉は
ツボミがふくらむ頃になると枯れてしまい
花が咲く初夏には
一枚もなくなっていることもあるそうです。

姥百合が咲いたとかけておばあさんと解く。
その心は「葉(歯)がない」

姥百合の名前は
牧野富太郎先生の謎かけになっていました。

06-yamato
牧野富太郎とヤマトグサ

日本植物学の父と呼ばれる牧野富太郎先生が発見した
記念すべき植物の第一号はヤマトグサ。
そして、牧野先生が名付け親になった最初の植物でもあります。

ヤマトグサは、私たちが見ると
ハコベに似た普通の草ですが
実はたいへん珍しい植物なのだそうです。

植物事典をめくる理由が
またひとつできました。

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蛭田瑞穂 10年03月21日放送



サン・ジェルマン・デ・プレの人々


第二次世界大戦直後の
パリ、サン・ジェルマン・デ・プレ。

サルトル、ボーヴォワール、カミュ、
コクトー、ボリス・ヴィアンといった人たちが
夜な夜な狂騒を繰り広げた。

輝くような才能が
同じ時代の、同じ場所に集まったことを、
わたしたちは「奇跡」という言葉以外に
表現することができない。







ボリス・ヴィアン  日々の泡①


ボリス・ヴィアンはつかみどころのない男。
小説も書けば、トランペットも吹く。
歌も歌うし、俳優もこなす。
劇作家、ジャズ評論、エンジニア、
挙げればきりがない。

つかみどころのなさは彼の作品にもあてはまる。

「最も悲痛な恋愛小説」と評される、
代表作『日々の泡』。このタイトルは原題の
「L’Ecume des Jours」を訳したもの。

しかし、この「L’Ecume des Jours」という言葉、
読みようによってはこんな意味にも受け取れるという。

奇妙で不自然なつくり話

ボリス・ヴィアンという男、やはりつかみどころがない。





レーモン・クノー  ドゥ・マゴ賞


フランスの文学賞「ドゥ・マゴ賞」は
若者たちの反抗心から生まれた。

1933年、作家レーモン・クノーは
小説『はまむぎ』を発表する。
のちのヌーヴォー・ロマンの先がけとなる
前衛的な作品であったが、
フランスの文壇からは黙殺された。

クノーの友人たちはこれに憤り、
フランスでもっとも権威のある
「ゴングール賞」の発表と同じ日に
クノーただひとりに与える文学賞を新設した。
賞の名前は、そのとき集まったカフェの名前から。
1300フランの賞金は、
13人の友人たちがひとり100フランずつ
ポケットマネーを出し合った。

こうして設立された「ドゥ・マゴ賞」は
その後数々の若い才能を発掘し、
現在ではゴングール賞と並んで、
フランス文学の最高峰と讃えられている。

若者たちよ、反抗しよう。何かを創り出すために。





ボリス・ヴィアン  日々の泡②


最愛の恋人と結婚したばかりの少女。
その少女の肺に、ある日睡蓮の蕾が宿る。
その蕾が膨らみ、花を開かせるにつれて、
少女に死期が近づいてくる。

ボリス・ヴィアンは小説『日々の泡』で、
ヒロインにこんな悲しい運命を背負わせている。

彼は言う。


 人生で大事なのはたった2つしかない。
 ひとつはかわいい少女との恋愛。
 もうひとつはデューク・エリントンの音楽。


彼が描く愛は、儚く、そして美しい。





ジャン・ポール・サルトル  カフェ・フロール


時は1942年。
サン・ジェルマン・デ・プレのカフェ
「フロール」で黙々と原稿を書き続ける男。

その男こそが20世紀を代表する哲学者、
ジャン・ポール・サルトル。

そんな彼も、しかし、
店にとっては必ずしも上客ではなかったようだ。

1杯のコーヒーで閉店まで粘る。
分厚い資料を広げてテーブルを占拠する。
彼あての電話が店に頻繁にかかってくる。

サルトルは振り返る。


 店の主人はいつもぼやいていたよ。
 「できるだけまずい物を出すようにしているのに、
 それでも毎日やってくる」ってね。


『存在と無』。
世界中に実存主義ブームを巻き起こしたその哲学書が
カフェのテーブルで書かれたのならば、
わたしたちは今、店の主人に感謝しなければならない。





レーモン・クノー  地下鉄のザジ


『地下鉄のザジ』は1960年に制作された
ルイ・マル監督によるコメディ映画。

作家レーモン・クノーが書いた原作小説も
映画に劣らずユニークだった。とくにその文体が。

当時のフランスでは、
正統な文語体で書くのが正しい小説。
しかしクノーは文法に縛られない口語体で
自由に小説を書いた。

「実写化不可能」というキャッチフレーズは、
ハリウッド映画に限ったものではない。

『地下鉄のザジ』の文体を映像化するのも、
ある意味では不可能である。





サルトルとボーヴォワール  契約結婚


ジャン・ポール・サルトルと
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは
ソルボンヌ大学を卒業後、
2年間という期限付きの結婚をする。

哲学に一生を捧げたふたりは、
男女関係の在り方についても考え続けた。

そのふたりは今、モンパルナスの墓でともに眠る。
もちろん、期限はなしで。

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坂本和加 10年03月20日放送

01-mm
ジーンズをはいた① ノーマ・ジーン

ジーンズとマリリン・モンローは、
じつは深い関係がある。

デビューのきっかけになった
軍事工場でのポートレイトは、
作業着のオーバーオール。
デビュー後は、ジーンズが
体型を維持するための
トレーニングウェアになったし、
遺作となった映画「荒馬と女」では
ジーンズは衣装だった。

けれど彼女は、私生活でも、
率先してジーンズをはいた。
まだふくらんだスカートが主流のころに。

彼女にはジーンズが必要だったのだと思う。
だれかのセックスシンボルであるよりも、
まず、ノーマ・ジーンであるために。



02-rosie
ジーンズをはいた② ノーマン・ロックウェル

ブルー・ジーンズは、第二次世界大戦時、
軍需工場の仕事着にもなった。
兵士は戦地に赴き、女性たちは、
オーバーオール姿で軍用機にリベットを打った。

ロウジー・ザ・リベッターは、
リベット打ちの名手。工場の華。
イラストレーター、
ノーマン・ロックウェルは、
戦意高揚が作り上げた、この架空の女性を
雑誌ポストの表紙画に描いた。

だぼついたオーバーオールに、男勝りな出で立ち。
オシャレや美しさなどとは無縁なこの画に、
サザビーオークションは、6億の値をつけた。

03-shirasu
ジーンズをはく③ 白州次郎

白州次郎といえば、
ジーンズ姿のポートレイトが、あまりにも有名。
そして彼は、ブルー・ジーンズをはじめて
はいた日本人として知られる。
はっきりと公に記憶されているのは、
講和条約締結のために乗った機内でのことのようだが、
白州がジーンズを手に入れたのは、
どうやら戦前のことらしい。

戦時中は、鬼畜米英とやっていた時代に、
だれも見たことのなかった
米国製ジーンズをはいて、
白州は、野畑を耕していた。

日本は、敗戦するだろう、
食糧難がくるだろうと予測して。

04-Jimmy
ジーンズをはいた④ ジミー・カーター

アメリカ合衆国大統領が
オフにジーンズ姿で現れるのは
かなり好意的に捉えられているが、
ジミー・カーターの時代は、
まだそうでもなかった。

当時のジーンズは、
肉体労働者と不良の制服。
しかし、カーターのジーンズ姿は、
ボブ・ディランと懇意になったあたりから、多くなる。

カーターもまた、他の若者たちのように
ディランの歌や、生き方、
履き古したブルー・ジーンズ姿に
大きな影響を受けたうちのひとりだった。

ディランをタブー視するおとなたちも多くいた。
けれど演説では、彼のことをこんなふうに伝えた。

 社会の正義や不公平を理解するのに
 役立ったもうひとつのものは詩人、
 ボブ・ディランの歌です。


05-dean
ジーンズをはく① ジョン・スタインベック

ノーベル賞受賞作家として知られる
ジョン・スタインベックの小説には、
ジーンズが幾度となく登場する。
これほどまでにブルー・ジーンズを
小説上に書いた人物は、
ほかにいないのではないか、というくらいに。

当時のジーンズは、
仕事着でもあったけれど、
生活をするための服でもあった。
まさに、アメリカ人の生活そのもの。
スタインベックの世界には、不可欠なものだった。

長編小説「エデンの東」は、映画にもなった。
主役は、彗星のごとく現れた新人俳優。
ジェームス・ディーンは、いまもなお、
ジーンズとともに人々の記憶にある。

06-brooke
ジーンズをはいた⑥ カルバン・クライン

街を歩けば、だれもがジーンズをはいている。
しかし、ワーク・ウェアとして生まれたジーンズが
かっこいい普段着になれたのは、
カルバン・クラインの功績が大きい。

 ブルー・ジーンズとはエロティシズムである。

カルバン・クラインは、そう断言して
デザイナーズ・ジーンズを世に売り出した。
ジーンズの本質は、変わらない。けれど、
セレブたちが飛びついたのは、ご存じの通り。

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江口順也 10年03月14日放送



前田利常


能ある鷹は、爪を隠す。

しかし、その男は、
逆に、あるものを思いきり見せつけた。

鼻毛である。

人呼んで、鼻毛の殿さま。
前田利家の息子、利常。

加賀100万石の跡目を継いだ彼は、
長さ一寸、3センチもの
鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、
隙あらばお家を潰さんと目論む
徳川家の警戒心をかわし続けた。
その裏、きめ細やかな政治を行い、
加賀藩はさらに百年のにぎわいを見せる。

能ある鷹は、鼻毛を伸ばした。

その1本1本に、
プライドと覚悟を秘めて。




手塚治虫


ベレー帽に破顔の笑みをたたえた
あの写真からは、
とても想像がつかないけれど。

神様はいつも怯えていた。

手塚治虫。
マンガの神様。

揺るぎない名声を築いてからも、
たえずライバルを警戒し、
弟子の才能に嫉妬し、若手の台頭に、
頭をかきむしったという神様。

あるとき、いちばんの敵と睨んでいた作家が
不慮の死を遂げた日のことを、
後に彼は、ざんげを込めてこう告白している。


 あぁ、ホッとした。
 なんと情けない俺だろうと、
 つくづく嫌になった。


ある学者の論文によれば。
人間の才能開発にもっとも効く劇薬は、
「劣等感」だそうだ。




高杉晋作


世が世なら、
パンクロッカーにでも
なっていたのだろう。

男は、折り畳み式の三味線を
戦場を持ち込んで、
唄など口ずさみながら、
何度も巨大な敵に刃向かい、
たてついた。

幕末の空気は、歴史の中のことでしかないけれど。
彼が残した、ただこの一言が、
僕らにリアルな勇気をくれる。


 おもしろき こともなき世を おもしろく
 高杉晋作





アンディ・ウォーホル


60年代の始まりに、
だれもが何かの予感を抱いていたころ。
若きウォーホルも、
みんなに聞いて回っていた。

ボクは、何を描くべきだと思う?

尋ねても尋ねても答えは見つからない。
来る日も来る日もキャンベルのスープを飲み、
TVを見て過ごした。

そんなある日、ふと気づくことになる。
生み出すものなんて、何もない。
ならいっそ、すべてを消費してしまおうと。

そして数年後。

世界中のオシャレピープルが、
そのへんのゴミ箱にありふれたコーラの瓶や、
スープの缶が描かれた絵を、壁に貼るようになった。

みんな、ウォーホルのこのセリフに
ころりとやられてしまったんだ。

大統領だって、リズ・テイラーだって、
コカ・コーラを飲んでいるんだ。
考えてもごらんよ、
そのコカ・コーラをきみも飲むことができるんだぜ。




エリック・クラプトン


そのインタビュアーは大胆にも、
エリック・クラプトンに2度同じ質問をした。

ギターの神様と呼ばれる気分は?

30歳だったクラプトンは、
こう答えた。


 ボクを神だなんていう言い方は、
 神を冒涜しているよ。


さらに、30年後のクラプトン。
今度はこう答えた。


 うれしいよ、
 ボクにも少しは良いところがあるってことだからね。


神は、ひとつの真実を示された。

一流の人ほど、
謙虚であるということを。

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山口千乃 10年03月14日放送



The smiths


ひきこもりの青年を
部屋から引っ張りだすのに、
あなたなら、どう声をかけるだろう。

ロンドンの曇り空の下、
一年中、家にこもっていたモリッシーを
ギタリストのジョニー・マーは、
こんなふうに誘った。


いっしょに世界を変えようぜ。


やがて、ロック界のカリスマとなった彼ら、
the smithsといえばご存知の通り。

ほら、世界は変わった。




石村僐悟・一枝夫妻


お返しがないなんて、おかしい。

女性たちの声に応えて
ホワイトデーを考えついたのは、
ある夫婦が営む和菓子屋さんでした。

礼には礼で返す。

ホワイトデーには、
和の心が込められています。

今日、あなたは返しましたか。

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小山佳奈 10年03月13日放送

01-yukio

三島由紀夫の酒


当代の流行作家が
新宿や浅草の居酒屋で
文学談義に花を咲かせていた頃。

そんな連中には見向きもせず
銀座の高級ホテルやクラブのバーで
グラスを傾けていた作家がいる。

三島由紀夫。

彼のお酒は
その生き様のように
一分の隙もない。

飲みにいく時はもちろん正装。
決して酔いつぶれることはなく
12時には執筆のために家へ帰る。

三島の美学は
酒をも支配する。



02-kusanoshinpei

草野心平の酒


蛙の詩人、草野心平。

ゲコゲコと鳴くカエルとは対称的に
本人は下戸どころかお酒が大好き。
ついには自ら居酒屋を開いた。

ただ、そこは詩人。
お品書きも一味違う。

ほうれん草のおひたしは「黒と緑」。
豚のにこごりは「冬」。
特級酒はてっぺんの「天」。
二級酒は「火の車」。

心平さんにかかれば
言葉だって酒の肴。

「じゃぁ今日は
黒と緑と火の車。」

ほら、
もう詩ができちゃいました。



03-hoshi

星新一の酒

SF作家、星新一。

彼はひとたびお酒を飲むと
その上品な佇まいからは想像もできないほど
ブラックな冗談を矢継ぎ早にくり出す。

小松左京はあまりに笑い過ぎて
いつもお腹が筋肉痛だった。

しかし次の日。
あれほど腹を抱えて笑った毒舌を
一緒にいた人間は誰も覚えていない。
きれいさっぱり忘れている。

なるほど。

アルコールは
「消毒」ですから。



04-nakajo

中上健次の酒


新宿ゴールデン街。
作家仲間が一杯やっていると
ガラリとドアが開いて
どすのきいた声が響き渡る。

「おまえのこの間の原稿、
 なんだあれ。」

大きな体から放たれた気は
小さな店を一瞬にして埋めつくす。

文学界の異端児、
中上健次。

誰かれかまわず議論をふっかける。
他人の新聞小説には勝手に赤字を入れる。

それでもみんな
中上のことが大好きで
なじられるのを承知で
足を運んでしまう。

ガラリ。

今でも夜のゴールデン街には
中上の威勢のいい声が
聞こえてきそうな気がする。



05-akatsuka

赤塚不二夫の酒


赤塚不二夫といえば、お酒。
お酒といえば、赤塚不二夫。

生来の酒飲みかと思いきや
お酒を飲み始めたのは
漫画家になって8年も経った頃。

トキワ荘時代は
酒を飲むより映画を見る
人一倍まじめな青年だった。

まじめにギャグ漫画を描き
まじめに酒を飲んだ。

そうしたら
ギャグ漫画は超一流の芸術になり
下戸は超一流のよっぱらいになった。

赤塚先生。

今ごろ天国では
少し早い花見酒でしょうか。



06-ozu

小津安二郎の酒

映画監督、小津安二郎。

彼は脚本家とともに
別荘にこもっては
映画の構想を練った。

かたわらには
蓼科の銘酒、
「ダイヤ菊」。

一升瓶100本で
映画を一本。

どうりで。
小津映画には
おいしそうに徳利を傾ける
シーンの多いこと。

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