蛭田瑞穂 10年03月21日放送



サン・ジェルマン・デ・プレの人々


第二次世界大戦直後の
パリ、サン・ジェルマン・デ・プレ。

サルトル、ボーヴォワール、カミュ、
コクトー、ボリス・ヴィアンといった人たちが
夜な夜な狂騒を繰り広げた。

輝くような才能が
同じ時代の、同じ場所に集まったことを、
わたしたちは「奇跡」という言葉以外に
表現することができない。







ボリス・ヴィアン  日々の泡①


ボリス・ヴィアンはつかみどころのない男。
小説も書けば、トランペットも吹く。
歌も歌うし、俳優もこなす。
劇作家、ジャズ評論、エンジニア、
挙げればきりがない。

つかみどころのなさは彼の作品にもあてはまる。

「最も悲痛な恋愛小説」と評される、
代表作『日々の泡』。このタイトルは原題の
「L’Ecume des Jours」を訳したもの。

しかし、この「L’Ecume des Jours」という言葉、
読みようによってはこんな意味にも受け取れるという。

奇妙で不自然なつくり話

ボリス・ヴィアンという男、やはりつかみどころがない。





レーモン・クノー  ドゥ・マゴ賞


フランスの文学賞「ドゥ・マゴ賞」は
若者たちの反抗心から生まれた。

1933年、作家レーモン・クノーは
小説『はまむぎ』を発表する。
のちのヌーヴォー・ロマンの先がけとなる
前衛的な作品であったが、
フランスの文壇からは黙殺された。

クノーの友人たちはこれに憤り、
フランスでもっとも権威のある
「ゴングール賞」の発表と同じ日に
クノーただひとりに与える文学賞を新設した。
賞の名前は、そのとき集まったカフェの名前から。
1300フランの賞金は、
13人の友人たちがひとり100フランずつ
ポケットマネーを出し合った。

こうして設立された「ドゥ・マゴ賞」は
その後数々の若い才能を発掘し、
現在ではゴングール賞と並んで、
フランス文学の最高峰と讃えられている。

若者たちよ、反抗しよう。何かを創り出すために。





ボリス・ヴィアン  日々の泡②


最愛の恋人と結婚したばかりの少女。
その少女の肺に、ある日睡蓮の蕾が宿る。
その蕾が膨らみ、花を開かせるにつれて、
少女に死期が近づいてくる。

ボリス・ヴィアンは小説『日々の泡』で、
ヒロインにこんな悲しい運命を背負わせている。

彼は言う。


 人生で大事なのはたった2つしかない。
 ひとつはかわいい少女との恋愛。
 もうひとつはデューク・エリントンの音楽。


彼が描く愛は、儚く、そして美しい。





ジャン・ポール・サルトル  カフェ・フロール


時は1942年。
サン・ジェルマン・デ・プレのカフェ
「フロール」で黙々と原稿を書き続ける男。

その男こそが20世紀を代表する哲学者、
ジャン・ポール・サルトル。

そんな彼も、しかし、
店にとっては必ずしも上客ではなかったようだ。

1杯のコーヒーで閉店まで粘る。
分厚い資料を広げてテーブルを占拠する。
彼あての電話が店に頻繁にかかってくる。

サルトルは振り返る。


 店の主人はいつもぼやいていたよ。
 「できるだけまずい物を出すようにしているのに、
 それでも毎日やってくる」ってね。


『存在と無』。
世界中に実存主義ブームを巻き起こしたその哲学書が
カフェのテーブルで書かれたのならば、
わたしたちは今、店の主人に感謝しなければならない。





レーモン・クノー  地下鉄のザジ


『地下鉄のザジ』は1960年に制作された
ルイ・マル監督によるコメディ映画。

作家レーモン・クノーが書いた原作小説も
映画に劣らずユニークだった。とくにその文体が。

当時のフランスでは、
正統な文語体で書くのが正しい小説。
しかしクノーは文法に縛られない口語体で
自由に小説を書いた。

「実写化不可能」というキャッチフレーズは、
ハリウッド映画に限ったものではない。

『地下鉄のザジ』の文体を映像化するのも、
ある意味では不可能である。





サルトルとボーヴォワール  契約結婚


ジャン・ポール・サルトルと
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは
ソルボンヌ大学を卒業後、
2年間という期限付きの結婚をする。

哲学に一生を捧げたふたりは、
男女関係の在り方についても考え続けた。

そのふたりは今、モンパルナスの墓でともに眠る。
もちろん、期限はなしで。

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坂本和加 10年03月20日放送

01-mm
ジーンズをはいた① ノーマ・ジーン

ジーンズとマリリン・モンローは、
じつは深い関係がある。

デビューのきっかけになった
軍事工場でのポートレイトは、
作業着のオーバーオール。
デビュー後は、ジーンズが
体型を維持するための
トレーニングウェアになったし、
遺作となった映画「荒馬と女」では
ジーンズは衣装だった。

けれど彼女は、私生活でも、
率先してジーンズをはいた。
まだふくらんだスカートが主流のころに。

彼女にはジーンズが必要だったのだと思う。
だれかのセックスシンボルであるよりも、
まず、ノーマ・ジーンであるために。



02-rosie
ジーンズをはいた② ノーマン・ロックウェル

ブルー・ジーンズは、第二次世界大戦時、
軍需工場の仕事着にもなった。
兵士は戦地に赴き、女性たちは、
オーバーオール姿で軍用機にリベットを打った。

ロウジー・ザ・リベッターは、
リベット打ちの名手。工場の華。
イラストレーター、
ノーマン・ロックウェルは、
戦意高揚が作り上げた、この架空の女性を
雑誌ポストの表紙画に描いた。

だぼついたオーバーオールに、男勝りな出で立ち。
オシャレや美しさなどとは無縁なこの画に、
サザビーオークションは、6億の値をつけた。

03-shirasu
ジーンズをはく③ 白州次郎

白州次郎といえば、
ジーンズ姿のポートレイトが、あまりにも有名。
そして彼は、ブルー・ジーンズをはじめて
はいた日本人として知られる。
はっきりと公に記憶されているのは、
講和条約締結のために乗った機内でのことのようだが、
白州がジーンズを手に入れたのは、
どうやら戦前のことらしい。

戦時中は、鬼畜米英とやっていた時代に、
だれも見たことのなかった
米国製ジーンズをはいて、
白州は、野畑を耕していた。

日本は、敗戦するだろう、
食糧難がくるだろうと予測して。

04-Jimmy
ジーンズをはいた④ ジミー・カーター

アメリカ合衆国大統領が
オフにジーンズ姿で現れるのは
かなり好意的に捉えられているが、
ジミー・カーターの時代は、
まだそうでもなかった。

当時のジーンズは、
肉体労働者と不良の制服。
しかし、カーターのジーンズ姿は、
ボブ・ディランと懇意になったあたりから、多くなる。

カーターもまた、他の若者たちのように
ディランの歌や、生き方、
履き古したブルー・ジーンズ姿に
大きな影響を受けたうちのひとりだった。

ディランをタブー視するおとなたちも多くいた。
けれど演説では、彼のことをこんなふうに伝えた。

 社会の正義や不公平を理解するのに
 役立ったもうひとつのものは詩人、
 ボブ・ディランの歌です。


05-dean
ジーンズをはく① ジョン・スタインベック

ノーベル賞受賞作家として知られる
ジョン・スタインベックの小説には、
ジーンズが幾度となく登場する。
これほどまでにブルー・ジーンズを
小説上に書いた人物は、
ほかにいないのではないか、というくらいに。

当時のジーンズは、
仕事着でもあったけれど、
生活をするための服でもあった。
まさに、アメリカ人の生活そのもの。
スタインベックの世界には、不可欠なものだった。

長編小説「エデンの東」は、映画にもなった。
主役は、彗星のごとく現れた新人俳優。
ジェームス・ディーンは、いまもなお、
ジーンズとともに人々の記憶にある。

06-brooke
ジーンズをはいた⑥ カルバン・クライン

街を歩けば、だれもがジーンズをはいている。
しかし、ワーク・ウェアとして生まれたジーンズが
かっこいい普段着になれたのは、
カルバン・クラインの功績が大きい。

 ブルー・ジーンズとはエロティシズムである。

カルバン・クラインは、そう断言して
デザイナーズ・ジーンズを世に売り出した。
ジーンズの本質は、変わらない。けれど、
セレブたちが飛びついたのは、ご存じの通り。

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江口順也 10年03月14日放送



前田利常


能ある鷹は、爪を隠す。

しかし、その男は、
逆に、あるものを思いきり見せつけた。

鼻毛である。

人呼んで、鼻毛の殿さま。
前田利家の息子、利常。

加賀100万石の跡目を継いだ彼は、
長さ一寸、3センチもの
鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、
隙あらばお家を潰さんと目論む
徳川家の警戒心をかわし続けた。
その裏、きめ細やかな政治を行い、
加賀藩はさらに百年のにぎわいを見せる。

能ある鷹は、鼻毛を伸ばした。

その1本1本に、
プライドと覚悟を秘めて。




手塚治虫


ベレー帽に破顔の笑みをたたえた
あの写真からは、
とても想像がつかないけれど。

神様はいつも怯えていた。

手塚治虫。
マンガの神様。

揺るぎない名声を築いてからも、
たえずライバルを警戒し、
弟子の才能に嫉妬し、若手の台頭に、
頭をかきむしったという神様。

あるとき、いちばんの敵と睨んでいた作家が
不慮の死を遂げた日のことを、
後に彼は、ざんげを込めてこう告白している。


 あぁ、ホッとした。
 なんと情けない俺だろうと、
 つくづく嫌になった。


ある学者の論文によれば。
人間の才能開発にもっとも効く劇薬は、
「劣等感」だそうだ。




高杉晋作


世が世なら、
パンクロッカーにでも
なっていたのだろう。

男は、折り畳み式の三味線を
戦場を持ち込んで、
唄など口ずさみながら、
何度も巨大な敵に刃向かい、
たてついた。

幕末の空気は、歴史の中のことでしかないけれど。
彼が残した、ただこの一言が、
僕らにリアルな勇気をくれる。


 おもしろき こともなき世を おもしろく
 高杉晋作





アンディ・ウォーホル


60年代の始まりに、
だれもが何かの予感を抱いていたころ。
若きウォーホルも、
みんなに聞いて回っていた。

ボクは、何を描くべきだと思う?

尋ねても尋ねても答えは見つからない。
来る日も来る日もキャンベルのスープを飲み、
TVを見て過ごした。

そんなある日、ふと気づくことになる。
生み出すものなんて、何もない。
ならいっそ、すべてを消費してしまおうと。

そして数年後。

世界中のオシャレピープルが、
そのへんのゴミ箱にありふれたコーラの瓶や、
スープの缶が描かれた絵を、壁に貼るようになった。

みんな、ウォーホルのこのセリフに
ころりとやられてしまったんだ。

大統領だって、リズ・テイラーだって、
コカ・コーラを飲んでいるんだ。
考えてもごらんよ、
そのコカ・コーラをきみも飲むことができるんだぜ。




エリック・クラプトン


そのインタビュアーは大胆にも、
エリック・クラプトンに2度同じ質問をした。

ギターの神様と呼ばれる気分は?

30歳だったクラプトンは、
こう答えた。


 ボクを神だなんていう言い方は、
 神を冒涜しているよ。


さらに、30年後のクラプトン。
今度はこう答えた。


 うれしいよ、
 ボクにも少しは良いところがあるってことだからね。


神は、ひとつの真実を示された。

一流の人ほど、
謙虚であるということを。

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山口千乃 10年03月14日放送



The smiths


ひきこもりの青年を
部屋から引っ張りだすのに、
あなたなら、どう声をかけるだろう。

ロンドンの曇り空の下、
一年中、家にこもっていたモリッシーを
ギタリストのジョニー・マーは、
こんなふうに誘った。


いっしょに世界を変えようぜ。


やがて、ロック界のカリスマとなった彼ら、
the smithsといえばご存知の通り。

ほら、世界は変わった。




石村僐悟・一枝夫妻


お返しがないなんて、おかしい。

女性たちの声に応えて
ホワイトデーを考えついたのは、
ある夫婦が営む和菓子屋さんでした。

礼には礼で返す。

ホワイトデーには、
和の心が込められています。

今日、あなたは返しましたか。

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小山佳奈 10年03月13日放送

01-yukio

三島由紀夫の酒


当代の流行作家が
新宿や浅草の居酒屋で
文学談義に花を咲かせていた頃。

そんな連中には見向きもせず
銀座の高級ホテルやクラブのバーで
グラスを傾けていた作家がいる。

三島由紀夫。

彼のお酒は
その生き様のように
一分の隙もない。

飲みにいく時はもちろん正装。
決して酔いつぶれることはなく
12時には執筆のために家へ帰る。

三島の美学は
酒をも支配する。



02-kusanoshinpei

草野心平の酒


蛙の詩人、草野心平。

ゲコゲコと鳴くカエルとは対称的に
本人は下戸どころかお酒が大好き。
ついには自ら居酒屋を開いた。

ただ、そこは詩人。
お品書きも一味違う。

ほうれん草のおひたしは「黒と緑」。
豚のにこごりは「冬」。
特級酒はてっぺんの「天」。
二級酒は「火の車」。

心平さんにかかれば
言葉だって酒の肴。

「じゃぁ今日は
黒と緑と火の車。」

ほら、
もう詩ができちゃいました。



03-hoshi

星新一の酒

SF作家、星新一。

彼はひとたびお酒を飲むと
その上品な佇まいからは想像もできないほど
ブラックな冗談を矢継ぎ早にくり出す。

小松左京はあまりに笑い過ぎて
いつもお腹が筋肉痛だった。

しかし次の日。
あれほど腹を抱えて笑った毒舌を
一緒にいた人間は誰も覚えていない。
きれいさっぱり忘れている。

なるほど。

アルコールは
「消毒」ですから。



04-nakajo

中上健次の酒


新宿ゴールデン街。
作家仲間が一杯やっていると
ガラリとドアが開いて
どすのきいた声が響き渡る。

「おまえのこの間の原稿、
 なんだあれ。」

大きな体から放たれた気は
小さな店を一瞬にして埋めつくす。

文学界の異端児、
中上健次。

誰かれかまわず議論をふっかける。
他人の新聞小説には勝手に赤字を入れる。

それでもみんな
中上のことが大好きで
なじられるのを承知で
足を運んでしまう。

ガラリ。

今でも夜のゴールデン街には
中上の威勢のいい声が
聞こえてきそうな気がする。



05-akatsuka

赤塚不二夫の酒


赤塚不二夫といえば、お酒。
お酒といえば、赤塚不二夫。

生来の酒飲みかと思いきや
お酒を飲み始めたのは
漫画家になって8年も経った頃。

トキワ荘時代は
酒を飲むより映画を見る
人一倍まじめな青年だった。

まじめにギャグ漫画を描き
まじめに酒を飲んだ。

そうしたら
ギャグ漫画は超一流の芸術になり
下戸は超一流のよっぱらいになった。

赤塚先生。

今ごろ天国では
少し早い花見酒でしょうか。



06-ozu

小津安二郎の酒

映画監督、小津安二郎。

彼は脚本家とともに
別荘にこもっては
映画の構想を練った。

かたわらには
蓼科の銘酒、
「ダイヤ菊」。

一升瓶100本で
映画を一本。

どうりで。
小津映画には
おいしそうに徳利を傾ける
シーンの多いこと。

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細田高広 10年03月07日放送



マティス


 私が緑でえがくとき、
 それは草を意味しない。
 青く塗っても、
 空を意味するとは限らない。


色彩の魔術師と呼ばれた、
アンリ=マティス。

見える色を使わず、
見たい色を使った彼の絵画は、
まぶしいほどに鮮やかだ。

マティスの作品を見た医者は
本気で忠告したという。


 サングラスをかけた方がいい。


マティスの絵画に対する、
最高の批評だと思う。









ハンター・S・トンプソン


ジャーナリストは、客観的に語るべし。

ハンター・トンプソンは、
そんな常識をひっくり返した男。

犯罪集団への取材では、
1年にわたって共に行動。
犯罪にも加担し、
最後はボコボコに殴られて逃げ出してくる。

取材というより実体験をもとに書いた記事は、
主観と脚色だらけ。まるで小説だ。

だが、彼は言う。


 小説が、フィクションより真実を語ることがある。


当事者だけが分かる感情。
当事者だけが知る空気。

この世界には、「事実」だけ並べても伝えられない、
「真実」がある。





ミシェル・プラティニ


黒人はフランスで
サッカーをするな。

移民のサッカー選手が
活躍し始めたとき、
フランス国内で上がった声だ。

それを、ある選手の一言が黙らせる。


 サッカーに人種はない。
 下手な白人ほど黒人を差別する。


フランスのスター選手だった、
ミシェル・プラティニ。

彼が引退して、約10年後の1998年。
フランス代表はワールドカップで
初優勝を飾る。

喜び抱き合う選手たちの肌の色は、
実に多様だった。

アフリカ大陸初の
ワールドカップまで、
あと3ヶ月。

チームの絆が、
人種の壁を越える。
もうひとつの闘いに注目したい。





クインシー・ジョーンズ


スリラー。愛のコリーダ。
クインシー・ジョーンズの手がけた音楽は、
聴けばたちまち耳に残る。
だが、いつまでも飽きさせない。

曲づくりの秘訣について、彼は言う。


 女性と同じで、2、3日暮らしてみれば分かるんだ。


1日中聞いたとしても、
翌朝起きて聴きたくなれるかどうか。
もしダメなら、その曲とはきっぱり
別れるのだそうだ。

私生活では3度結婚し、
7人の子どもがいる、恋多き男。

クインシーの音楽の先生は、
恋愛だったのだ。





渋沢栄一


日本における資本主義の父、
渋沢栄一は言った。


 機械が運転しているとカスがたまるように、
 人間もよく働いていればカネがたまる。


人の役に立っていれば、お金はついてくる。
そう考えていた渋沢は、
500以上の会社を設立しながら、
多くの社会活動にも関わる。

日本赤十字社を設立し、
養育院の院長を務め、
関東大震災の際には復興の指揮をとった。

その生き方を見ると、気付かされる。
ビジネスと社会貢献はそもそも同じ意味。
人に役立つためのこと。

企業の「社会貢献活動」、
なんてわざわざ表明する風潮は、
どこかおかしいかもしれない。





ムンク


絵画「叫び」で有名な、ムンク。
彼は女性運が悪かった。

最後の彼女には
「結婚しなければ自殺してやる」
と銃を片手に脅される。
もみ合いの末、大切な指を一本失った。


 愛を炎に喩えるのは、正しい。
 炎と同じで
 山ほどの灰を残すだけだから。


恋愛に懲りたムンクは、事件以降、
女を「恐怖」や「死」のモチーフに選び
何枚もの絵画を描く。

ムンクの恋の燃えカスは、
灰なんかじゃない。
芸術だったのだ。





ジミ・ヘンドリクス


天才ギタリスト、
ジミ・ヘンドリクス。

もっと速く弾ける人も、
もっと正確に弾ける人もたくさんいる。
この場合の「天才」とは、
技術のことじゃない。


 ブルースは簡単に弾ける。だが、感じるのは難しい。


ジミヘンだけが感じていた
100%のブルース。
100%のグルーブ。

最先端の技術と機材を揃えた今でも、
未だ人類は追いつけない。



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熊埜御堂由香 10年03月06日放送

01-paul

道具のはなし ポールボキューズの鍋


「私の料理の秘訣がひとつしかなかったとしたら、
 それはこの美しい道具だろう」


フランスのリヨンで腕をふるう
84歳の現役天才シェフ、ポールボキューズ。
彼は料理へのこだわりから、鍋までつくってしまった。
工業の街、アルザスで、
祖父の代から台所用品店を経営していた、
フランシス・ストウブ氏と開発した、分厚い鉄の鍋だ。

45年間、ミシュランの3つ星を
維持しつづける彼のそばに、
今日もこの武骨な鍋はどっしり座っている。






02-chieko

道具のはなし 智恵子の千代紙


こころの病に苦しんだ、高村光太郎の妻、智恵子。
光太郎は彼女に、気分転換の道具に千代紙を渡した。
智恵子はたちまち紙絵に夢中になる。
食膳がでると、皿にのる食材を紙絵でつくらないうちは
箸をとらないほどだった。
できあがると、恥ずかしそうな、うれしそうな顔で、
光太郎に差し出した。

智恵子の残した千点以上の紙絵に、光太郎は言った。

 これらは、智恵子の詩であり、
 生活記録であり、此世への愛の表明である。


妻の千代紙は、夫と心を交わす道具となった。



03-hikaru

道具のはなし 恋する道具

ひとは不器用だから、
恋をするにも、道具がいります。
いまは、メール。昔は手紙。

プレイボーイの元祖、光源氏は、
先立たれた妻からの恋文に、
歌を書きつけて、泣きながら燃やしました。

大切にとってあった手紙と妻への思いが
一筋の煙になって天へ届くように。
そんな思いをこめた読まれた歌のしめくくりは、

 おなじ雲居の煙とをなれ
 (おなじくもゐの けぶりとをなれ)


メールは燃やすこともできないし、
下駄箱にいれることもできません。
恋する道具としては、手紙が一枚上手のようです。

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石橋涼子 10年03月06日放送

04-fuji

藤山寛美の岡持ち


アホを演じることにかけては天才と言われた
役者、藤山寛美。

彼が舞台裏で片時も手放さなかった道具は
岡持ちだった。
化粧道具からタバコやのど飴まで、
舞台に立つための必需品がすべて詰まっていた。

役者と名乗ることにこだわった彼の言葉がある。

 わしは、俳優やあらへん、役者や。
 俳優の俳の字は、人に非ずと書くやろ。
 芝居には役者の人間性が出るもんや。
 そやから、わしは、人間を演じる、役者や。


彼の中には、人のおかしさや愛しさや、悲しさまでも。
人間を演じるための必需品が
ぜんぶ詰まっていたに違いない。



05-mikimoto

道具のはなし 御木本幸吉の矢立


道具の使い道は、ひとつではない。

うどん屋から始まり、青物、米、海産物を経て
真珠の養殖で財をなした商人、御木本幸吉。
彼は常に「矢立」を腰にさしていた。
ボールペンが普及し始めた時代に、
墨つぼと筆を携帯するための矢立は、
もはや消えゆく道具だ。
彼は、そんな矢立を愛用する理由をこう語った。

 「武士の刀」のように、矢立は「商人の魂」だ。

と。
実際は、新聞社などマスコミが
矢立の物珍しさを面白がって紹介することが多く、
御木本の良い宣伝道具になっていたという。

商人は、道具の使い方も、さすがです。



06-carlyle

道具のはなし カーライルとフランクリン

イギリスの評論家、
トーマス・カーライルは
 人間は、道具を使う動物である
と言った。

ベンジャミン・フランクリンは
 人間は、道具をつくる動物である
と言った。

私はどうだろう?
近ごろ、道具を愛でる動物、
になってはいないだろうか。

ケースに入れたままのとっておきのグラスを出して
今夜は一杯、やってみようと思う。

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名雪祐平 10年02月28日放送

ショパン1

ショパン『帰る心臓』


ショパンは、パリで、死んだ。

彼の希望にそって、
心臓だけは
祖国ポーランドに戻った。

帰ることが
かなわなかった故郷へ。

せめてハートだけ、心臓だけは
帰りたかったのか。

Bon anniversaire!
あす3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。


ショパン2

ショパン『祖国の音楽』


ポロネーズ ト短調。

この曲をショパンが作曲したのは、
なんと7歳の時だった。

ポロネーズとは、
祖国ポーランドに伝わる
民族舞曲。

ハタチで祖国を離れた後も
生涯にわたって
ポロネーズを作曲したショパン。

神経質といわれた男が
無条件に愛したポーランド。

祖国とは、親なのかもしれない。


ショパン3

ショパン『天才の初恋』


ワルシャワ音楽院で
10代のショパンは、
音楽の天才と絶賛された。

けれど、
どんな天才にも初恋はせつない。


僕は不幸なことに、
僕の理想を発見したようだ。


発見されたのは、
同じ音楽院で声楽を学ぶ
コンスタンチア・グワトコフスカ。

彼女がショパンに
振り向くことはなかった。

なぜなら、ショパンは
想いを告白するどころか、話しかけることさえ
できなかったのだ。

強烈なナイーヴさが生んだ曲。

♪ピアノ協奏曲 へ短調 第2楽章

片想いは、傑作の素。


ショパン4

ショパン『不幸な幸福』


25歳のショパンは、
16歳の貴族の娘マリアに
心を奪われた。

彼はプロポーズし、
彼女は受け入れたが。

この婚約を、
両親、胸の病、身分の差が
じゃまをした。

不幸が名作を生むのなら。

芸術家にとって、
不幸は不幸なのだろうか。
幸福は幸福なのだろうか。


ショパン5

ショパン『奔放と純情と』


なんて
感じの悪い女なんだろう。


そう思ったら、もう恋の兆候。

奔放な、小説家ジョルジュ・サンド。
純情な、作曲家ショパン。

正反対のN極とS極が
強烈な磁力で引かれ合うように。

二人は強く結びついた。

関係が破局するまで
8年間も続くなど、だれが予想しただろう。

その8年間に、
音楽史に残る傑作が次々と生まれた。

ピアノ音楽史上の傑作とされる、
ピアノソナタ第3番もそう。

♪ピアノソナタ第3番

こんな曲を男に書かせるなんて、
なんて
いい女なんだろう。







ショパン6



ショパン『最期の美女』


ショパンの最期を
看取った
絶世の美女がいる。

ポーランド貴族出身の
ポトツカ夫人。

ショパンとは、
古くから交友があり、
小犬のワルツを贈られてもいた。

しかし、客観的事実が
ほとんどわかっていないため、
二人が恋人だったかも、謎。

永遠の、二人だけの秘めた恋、
なのかもしれない。


ショパン7

ショパン『登竜門』


5年に1度の
ショパン国際ピアノコンクールが
今年開催される。

どんな天才が世界中から
あつまるだろうか。
日本人初の優勝者は出るだろうか。

Bon anniversaire!
今年3月1日は、
ショパン200回目の誕生日。

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保持壮太郎 10年02月27日放送

01-miyamoto

宮本武蔵


天下無双の剣豪、
宮本武蔵。

勝利を追求しつづけた人生が
そこにはあった。

そんな彼によれば
恋愛にも
必勝法があるという。

師曰く、

恋をせば 文ばしやるな 歌よむな。
一文なりと銭をたしなめ。

恋をしたならば、
ラブレターなんて書くな。
歌なんぞ詠むな。
とにかく一円でも多く
お金をためなさい。

どうやら恋愛も、
勝利のためには、
手段を選んではいられないらしい。






02-mandera

ネルソン・マンデラ


期待をしない。
希望をもたない。
そんな人生も悪くない。

けれども
ネルソン・マンデラの人生は違った。
牢獄の中で27年間。
彼は自らの希望のために闘いつづけた。
そして国を動かした。

のちに彼は、
南アフリカ大統領の就任スピーチでこう語った。

 わたしたちが怖れているもの。
 それは自分が無力だということではない。
 わたしたちが最も怖れているもの。
 それは自分には計り知れない力があるということだ。


そこには不安がある。
失望への恐怖がある。
そんな人生のなんと素晴らしいことよ。



03-lee

リー・ストラスバーグ

リー・ストラスバーグの
名前は知らなくとも
彼の教え子の名前なら
あなたも知っているはずだ。

アル・パチーノ
ロバート・デニーロ
ジェームス・ディーン
ダスティン・ホフマン
ジャック・ニコルソン

数々の名優たちが
ストラスバーグの主催する
アクターズ・スタジオで
その演技を磨いた。

 主役なんてものは存在しない。
 人生には主役なんてない。
 誰もが登場人物にすぎないんだ。


そんな彼の教えは、
幾人もの魅力的な主役を
スクリーンへと送り出していった



04-halle

ハル・ベリー


女優、ハル・ベリー。

2001年、
アフリカ系アメリカ人女性として
初めてアカデミー主演女優賞を受賞。

けれども僕たちが
彼女の本当の偉大さを知ったのは
それから2年後のことだ。

その年、
不幸なことに
彼女の主演作が
最低な作品に贈られる映画賞
ゴールデンラズベリーアワードを
受賞することになった。

なかば冗談として行われたラズベリー賞の授賞式。

なんとそこには、
ハル・ベリー本人の姿があった。

そればかりか彼女は、
左手にオスカー像、
右手にラズベリー像を握りしめて
スピーチをし、
あげく涙まで流してみせた。

偉大なる女優の
すばらしい演技に
観客たちは万雷の拍手でこたえた。



05-itami

伊丹十三


男は、
51歳にして
映画監督になった。

彼は映画監督である前に、
俳優だった。
エッセイストだった。
雑誌編集者だった。
デザイナーであり
イラストレーターであり
CMプランナーでもあった。
ドキュメンタリー作家と
呼ばれたりもしていた。

だからだろうか。
伊丹十三が撮る映画は、
いつも
あちこち
普通じゃなくて
なんだかとても
おもしろかった。



06-yanagi

柳宗理

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
けれどもそれはとても美しい。
やかんが美しいなんて
思ったこともなかった。
そんなことに気づかされるくらいに。

彼は言う。

 本当の美は、生まれるもので、つくり出すものではない。

柳宗理のつくるやかんは、
やかんらしいカタチをしている。
だからこそそれは
とてもとても美しい。

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